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フランツ・ハルダー

(一般)
ふらんつはるだー

フランツ・ハルダー
軍人:ドイツ:陸軍上級大将(Generaloberst)
Franz Halder (1884-1971)

年譜

1884年:バイエルンの代々軍人を輩出した家系に生まれる
第一次世界大戦で歩兵科将校として参戦
戦後、軍隊局(参謀本部)勤務
1938年:
ベック参謀総長(チェコとの戦争に反対し辞職)の後任として参謀総長就任(1938年8月31日)
ハルダー自身も反ヒトラー派であり、ベックと連携をとり、陸軍内の反ヒトラー派組織「黒い礼拝堂」に参加していた。
1938年9月:チェコ危機の際、クーデターによってヒトラー排除計画を画策するもミュンヘン協定による危機回避によって不発に終わる。
1939年-1941年:ポーランド侵攻作戦、フランス侵攻作戦、ソ連侵攻作戦、イギリス侵攻作戦(実行せず)の作戦立案の責任者
(これらでは、たびたびヒトラーと作戦方針の進め方で対立するが、保身術に長けた彼はその都度解任される危機を回避してきた)
1940年7月19日:大将昇進
1941年:ソ連侵攻作戦(作戦名「バルバロッサ」)ではヒトラーが押し切ったキエフ攻略作戦のために冬将軍の到来を招き、ドイツ軍にとっては取り返しのつかない大きなつまずきとなった。このときヒトラーは自分の責任を省みず、陸軍総司令官フォン・ブラウヒッチュ元帥を始めとする数名を陰謀によって罷免に追い込む。ハルダーもこの時解任または辞職するはずであったが、これによく耐え、陸軍が自滅という最悪の道に進まないように努力した
1942年:夏季大攻勢(ブラウ作戦)の作戦方針について、ソ連軍軽視のヒトラーと鋭く対立
1942年9月24日:ヒトラーによって解任
1944年7月20日:ヒトラー暗殺未遂事件
これに間接関与したとの嫌疑で逮捕。
1945年:終戦までダッハウ強制収容所に収監されるがドイツ敗戦によって釈放
1946年:ニュルンベルク国際法廷で連合軍側証人として法廷に立つなど、積極的に「ナチスの戦争犯罪追求」に協力。彼の経歴は連合軍側に好意的に受け止められ、戦争責任を問われなかった。
1971年:没

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