Hatena Blog Tags

フランク・ロイド・ライト

(アート)
ふらんくろいどらいと

フランク・ロイド・ライト、Frank Lloyd Wright(1867年-1959年)。シカゴを中心として活躍した米国の建築家。
ウィスコンシン州マディソンに生まれ、19歳のとき地元の大学を中退し、家出するようにしてシカゴに出てくる。
この時代のシカゴは急激な人口増加とそれに伴う経済発展にくわえ、1871年のシカゴ大火後の建設ラッシュもあって大建設時代を迎えつつあった。そのシカゴを代表する建築家の一人であるルイス・ヘンリー・サリバンの弟子となり、初期の住宅はサリバンの紹介によるものが多かった。ともにケルト文化を背景に持っていたことが、二人に親近感を与えたと説明されることがある。
1893年のシカゴ万博(世界コロンビア博覧会)では鳳凰殿のような形をした日本館に感銘を受け、プレーリーハウスをはじめとしたライトの初期作品では日本建築の影響が顕著となる。この日本館のプロデューサーは岡倉覚三、設計は久留正道、施工は大倉組(現・大成建設)であった。たびたび日本を訪れ、日本にも作品を残すとともに日本建築を研究し、浮世絵の著名なコレクターでもあった。ライトに浮世絵の手ほどきを施したのは執行弘道だったと言われ、またアントニン・レーモンドはライトの助手として初来日した。ジョンソンワックスタワーのマッシュルーム・コラムは奈良・法隆寺の五重塔の芯柱が霊感源であるとされ、浮世絵からは独特の抽象化の手法を学んだとされる。
プレーリーハウス以降、ライトの住宅は地面に接した基壇部、それに屋根が強調され、また「箱の解体」と称して外壁を被膜的に扱い、さらに中心部に暖炉を置くことが顕著となっていくが、これは日本建築からの影響だけでなく、ゴットフリート・ゼンパーの建築論「四要素」からの影響もあろう。もともとプレーリーハウスはジョージ・ワシントン・スノーが1830年代にシカゴ近郊で普及させたバルーンフレーム構法を基本としたが、しばしばプレーリーハウスの代表作のように語られる1910年(竣工年)のロビー邸ではしかし、実はコンクリートやスチールが用いられている。この時期以降、ライトはコンクリートを多用していく。
テキスタイルブロックと呼ばれる独特の中空コンクリートブロックを多用した中期の住宅では、形態においてはジグラットをモチーフとするなどマヤ文明への傾倒が顕在化してくる。初期の日本文化やこの中期のマヤ文明への傾倒は、リチャード・モリス・ハントやマッキム・ミード・アンド・ホワイトをはじめとした当時の米国建築の主流をなしていた東部の建築家がボザール=ヨーロッパの影響下にあったのに対し、アメリカ独自の建築を模索するためだったとマンフレッド・タフーリは説明する(この点でまさにライトはルイス・サリバンを継承していた)。コンクリート造初期の作品であるロサンゼルスの1921年(竣工年)のホーリホックハウス(バーンズドール邸)ではまだテキスタイルブロックは出現していないが、形態的には既にマヤ遺跡への傾倒が窺われ、同時に日本建築への傾倒の残滓もまだ窺える。
テキスタイルブロック住宅の代表作の一つである続くエニス邸は、映画『ブレードランナー』のロケ地として使われたことはよく知らている。
中期にはライトの大きなクライアント層であったシカゴ財界が南カリフォルニアやアリゾナに避寒地を求めるに従い、ウィスコンシン州のタリアセン・イーストにくわえ、アリゾナ州スコッツデールにタリアセン・ウエストを設立、西部においても本格的な設計活動をはじめる。
さらに時代がくだって大恐慌後、ニューディール時代にはユーソニアン住宅と呼ばれる木造や煉瓦造の住宅にライトは回帰してくる。これらの住宅は「ブロードエーカー・シティ」と呼ばれる理想郷の考えとセットになったもので、基本的にはローコスト住宅やミドルクラスのための住宅を主としていた。また「そこでは人は生まれながらにして1エーカーの土地を与えられる」とするブロードエーカー・シティ構想は、アメリカ超越主義だけでなく、ピョートル・クロポトキンの影響が見受けられるという。
後期の作品には、ペンシルベニア州ドネガルの落水荘(カウフマン邸)やマンハッタンのソロモングッゲンハイム美術館などニューヨーク財界からの仕事も含まれ、またこれらは代表作の一角をなしている。
生涯で400以上の建物を竣工させ、またライトの事務所からは先述したアントニン・レーモンドの他、ロサンゼルス・モダニズムの中心的建築家の一人となったルドルフ・シンドラーや、東京モダニストの先駆けとなる土浦亀城、短期間の勤務であったがリチャード・ジョセフ・ノイトラ、、そしてオーストラリアの首都キャンベラのマスタープランを行ったウォルター・バーリー・グリフィンといった建築家を、輩出している。
1910年にドイツ語で出版されたライト作品集、いわゆるヴァスムートポートフォリオは、建築家ミース・ファン・デル・ローエに決定的な影響を与えたとされる。


主な作品に

1910年 ロビー邸
1913年 ミッドウェーガーデン
1921年 バーンズドール邸
1939年 カウフマン邸(落水荘)
1939年 ジョンソンワックス本社
1959年 ソロモングッゲンハイム美術館


日本で見ることのできるライトの建築物。

  • 帝国ホテル中央玄関(博物館明治村)…愛知県犬山市
  • 自由学園明日館…東京都豊島区
  • 山邑邸(ヨドコウ迎賓館)…兵庫県芦屋市


テクトニック・カルチャー―19-20世紀建築の構法の詩学

テクトニック・カルチャー―19-20世紀建築の構法の詩学

[rakuten:book:11029319:detail]

このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

ネットで話題

もっと見る

関連ブログ