Philippe Troussier
フランスの元サッカー選手、サッカー指導者。
ポジションはディフェンダー。
1955年3月21日、フランス・パリ生まれ。
1976年、プロサッカー選手としてデビュー。スタッド・ランスやFCルーアンでプレー。
28歳で現役引退。
1984年、指導者に転向。U-15フランス代表や、アランソン、レッドスターFC93、クレテイユの監督を歴任。
1989年、コートジボワールのASECミモザ・アビジャン監督に就任。選手権3連覇を達成。
1993年、コートジボワール代表監督に迎えられるが、サッカー協会と決裂し解任。
その後南アフリカのカイザー・チーフスやモロッコのFUSラバトの監督を歴任。
1997年2月、ナイジェリア代表監督に就任。FIFAワールドカップ・フランス大会予選突破を達成するも、サッカー協会と決裂し同年9月解任。
1998年、アフリカネーションズカップのホスト国・ブルキナファソ代表の監督を務め、ベスト4に進出させた。
同年3月、南アフリカ代表監督に就任。1998年FIFAワールドカップ・フランス大会は2分1敗でグループリーグ敗退となり辞任した。
同年9月、アーセン・ベンゲルの紹介によりサッカー日本代表監督に就任。シドニーオリンピック代表の監督も兼任。
1999年、清雲栄純の後任としてU-20代表監督も兼職。黄金世代を率いて、FIFAワールドユース選手権ナイジェリア大会で準優勝に導く。
2000年、シドニーオリンピックはベスト8に終ったが、AFCアジアカップでは優勝。2001年、FIFAコンフェデレーションズカップ準優勝。
2002年、FIFAワールドカップではベスト16に進出、ホスト国として最低限の成績は残した。また、大会直前に中村俊輔を代表から外したことで物議を巻き起こした。大会終了後、日本代表監督を退任。
その後、カタール代表監督*1を経て、2004年11月にオリンピック・マルセイユ監督に就任。成績不振により2005年6月2日更迭。
2005年8月1日のナイジェリア代表監督就任が発表されたが、本人は断った。
その後、モロッコ代表監督に就任も2ヶ月で解任。
2006年03月17日に妻のドミニクさんと共にイスラム教に改宗し、オマル・トルシエに改名した。
2007年07月12日 ヨルダン代表新監督として契約と報じられる。*2
2007年12月18日 FC琉球の総監督に就任と報じられる。