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ビルマ

(地理)
びるま

ビルマ/ミャンマー

歴史

1948年1月4日、イギリスより独立する。

人口4200万人(推定)で、世界でも有数の多民族国家である。軍事体制で元首は、タンシュエ国家平和発展評議会議長(外務省は国家平和開発評議会と表記)。政府は、国内には135の民族が居住していると発表しているが、その数はかなり疑わしいというのが研究者の間でも一般的な見方である。ビルマでは1983年以来、センサスが行われていない。

2006年10月10日、国民会議の再開にあたって、チョーサン情報相は同日、首都をネーピードーとする法案を盛り込むことを明らかにした(共同通信:10日)。

2007年2月現在、外務省ホームページでは、正式には発表していないとしつつ、「首都:ネーピードー」となっている。

民主化運動

軍政下にあり、1980年以降民主化運動が行われているが、政権の交代には到っていない。国内からのインターネットアクセスや携帯電話の使用は厳しく制限されている。2007年9月に旧首都で人口最大の都市であるヤンゴン(ラングーン)を中心にデモが行われたが、軍事政権は沈静化を宣言している。

2007年9月のデモでは、治安部隊や軍隊がデモ隊に対して発砲し、取材中の日本人ジャーナリストを含む数人の死亡が確認されている。

これに呼応して、ビルマ国外からの支援や抗議の動きも盛んに行われている。

国名

1989年、「ビルマ」から「ミャンマー」へ国名が変更したのではなく、ビルマもミャンマーも古くから用いられてきた呼称である。両者は口語(ビルマ)と文語(ミャンマー)の違いしかない。1947年、ビルマ連邦(Union of Burma)として英国から独立を果たすが、当時のビルマ語表記の国名は、「ピダウンズ・ミャンマー・ナインガー(ピダウンズ=連邦、ナインガー=国)」であった。1989年に当時の軍事政権が変更したのは、英語の対外呼称であって、国名ではない。Myanmarへの変更について、軍事政権は「ビルマではビルマ族しか指さず、ミャンマーの方が国内諸民族をも含むため適切な呼称である」と説明した。

純粋にビルマ語の現地音を尊重するという意味においては、「ミャンマー」を用いたほうが良い。ビルマ語ではビルマのことを[ミャ(ン)マー] あるいは[バマー]と発音する。日本語の「ビルマ」は、[バマー]の古音に基づくヨーロッパ語(おそらくオランダ語)から江戸末期に入ったもので、発音としては、現代ビルマ語の[ミャ(ン)マー]とも[バマー]とも大きく異なる。よって、現地音を尊重するという意味では、ビルマよりミャンマーを用いたほうが良い。

しかし、口語と文語の違いしかない二つの呼び方は、双方とも「ビルマ族」を指すことばである、ビルマ政府による、ビルマ語の[ミャンマー]は国内に住むすべての民族を含む呼称であるという説明は、嘘なのである。(大阪外国語大学ビルマ語専攻のホームページより)。

対外呼称をMyanmarに変更した後、すぐに日本政府が「ミャンマー」の呼称を受け入れると、外務省の意向を受けた日本新聞協会が「ミャンマー」表記を採用し、各社もそれに右にならえをしてしまった。例えば、朝日新聞は「現地の呼び方を尊重する(ただし慣用化した表現は変えない)」という理由から、「ミャンマー」表記を採用している(1989年7月10日〜)。

このような日本のメディアの動きに対して、 「国名表記においても、 ジャーナリズムとしての自主的な判断を放棄し、 軍事政権と日本政府に身をまかせ、 軍事政権を受け入れない多くのビルマ市民の声を排除してしまった」という意見もある(永井浩[1998]『アジアはどう報道されてきたか』筑摩書房、pp.124-126)。

少数民族

ビルマは少数民族による長い反乱の歴史を持つ。主なものにカレン、カチン、シャンなど。

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