Bithynia
アナトリア半島の北部の沿岸地域の旧称。主に古代史の領域で用いられる。 黒海に面した地域には港湾があって交易の拠点となり、その他の資源にも恵まれた土地だった。 ディアドコイ戦争の混乱に乗じて独立した王国となる。 有力な王国であったが、近隣のポントスの圧迫を受け、(最後の王となる)ニコメデスは一時王座を失うが、ローマの支援により再興する。 その後、紀元前74年にニコメデス王は後継者のないまま亡くなり、遺言によって王国はローマに対して遺贈され、その属州となった。
アナトリア西部の都市。サカルヤ川上流のポルスク・チャイ平原の南西端に位置する。中世、ゲルミヤン君侯国の中心都市として栄え、後にオスマン朝の支配がおよんだ。同じアナトリア西部のイズニクとならんで窯業が盛んであった。 紀元前からの都市 ゲルミヤン君侯国 オスマン朝支配下のキュタヒヤの町 キュタヒヤ陶器 参考文献 紀元前からの都市 キュタヒヤは古い史料にはコティアエイオン、コティアイオン、コティアエイウム、カティヤイウムという名称で記された。 紀元前8世紀にアナトリアで建国されたフリュギア王国の都市であり、その後はペルシアのアケメネス朝、続いて紀元前4世紀にはマケドニアのアレクサンドロス3世の支配下…