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パリ講和会議

(社会)
ぱりこうわかいぎ

第二次世界大戦枢軸国の中心の一国となったイタリアハンガリーブルガリアルーマニアフィンランドなどが、旧連合国の中心であった、イギリスフランスアメリカソビエト連邦(ソ連)の四大国らとを中心として1947年7月にパリで結ばれた講和条約
トリエステの国際管理化、植民地の放棄、ソ連への賠償金の支払い、軍備の制限などが決められた。その後まもなく、連合国による占領軍はイタリアから撤退した。
なお、一般に「パリ講和会議」は、1919年1月から5月まで行われた第一次世界大戦講和会議と「ベルサイユ条約」を指すため、この用語はイタリア国内以外にはあまり使われておらず、日本ではパリ条約のみで指すことが多い。

パリ講和会議

(社会)
ぱりこうわかいぎ

フランス パリで開催された講和会議。1919年1月から5月まで行われた第一次世界大戦講和会議を指す。
講和会議というのは和平条件を巡る綱引きが行われるものだが、最終的にはイギリスアメリカフランスの三大国が勝手に話を詰める場になった。
複数の条約が結ばれたが、同盟国の中心であるドイツとの間にはヴェルサイユ条約が結ばれており、戦後ヨーロッパの国際秩序を「ヴェルサイユ体制」と呼ぶのはこれに由来する。

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