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ハーレム

(一般)
はーれむ

[harem]


ハレムとも。出入り禁断の場所の意〕
(1)イスラム社会で、婦人専用の居間。血族以外の男の出入りを厳禁した。閨房(けいぼう)。
(2)オスマン帝国の王室の後宮。
(3)転じて、一人の男性が愛欲の対象として多くの女性を侍らせたところをいう。



三省堂提供「大辞林 第二版」より

尚、反対語は[セラム]。

ハーレム

(地理)
はーれむ

[Harlem]


ニューヨーク市マンハッタン区北部の黒人街。スラム化が著しい。

三省堂提供「大辞林 第二版」より

地理的には120丁目〜150丁目ぐらいまでで、おおざっぱに「セントラルパークより上、ブロンクスより下」ぐらいに考えておけば良い。もともとオランダ系住民が移住して作った町を、黒人の不動産業者が黒人に売ったのがきっかけでニューヨークのみならず南西部から鉄道でやって来た黒人達がコミュニティを作った。ハーレム・ルネッサンスとしての文学や音楽の発祥の地として、とくに1900年代〜1930年代にかけて栄えた。
しかしハーレムのアーティストのパトロンとなって黒人文化を食い物にしたのが白人達であることに対する反発も当然内部ではあったし、不況でレジャーとしての黒人文化の嗜みが下火になってくると、「ルネッサンス」も行き場を失った。
ハーレムが再び活発になったのは公民権運動、そして移民法でアフリカ大陸やヨーロッパからの移民が移って来た時代。
ハーレム・ルネッサンスの時と同じように、コミュニティの人達自身が権利や文化を創造する力よりも、それを売買する外の力の方が今も依然として大きく、ヒップホップカルチャーの宣伝であったり、ゲットー地区であることの宣伝をするメディアは多い。
2001年にビル・クリントン元大統領は(マンハッタンのミッドタウンにオフィスを構えられなかったということと、黒人外に住むということでイメージアップを狙って)、ハーレムの目抜き通りである125丁目に事務所を構えた。またジュリアーニ元市長の管理(マンハッタン島中腹からの歓楽街・底辺層の追い出しや、再開発を名目とした70年代からの事業主による土地の買い漁り)の影響で地価が上がり、スターバックスやH&Mなどの大企業が小売店を追い出して、地元に収益が入らない、ハーレムに住む黒人や低所得者には住み続けにくいシステムが整ってしまった。マンハッタン島の他の地域の地価も高騰しているので、白人や裕福な人も安い場所を求めてどんどんハーレムに移住して来ている。

The Assassination of New York

The Assassination of New York

The Harlem Renaissance: Mcdougal Littell Literature Connections (Literary Reader)
The Price of the Ticket: Collected Nonfiction, 1948-1985

The Price of the Ticket: Collected Nonfiction, 1948-1985

http://www.fatherryan.org/harlemrenaissance/
http://en.wikipedia.org/wiki/Harlem_Renaissance

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