Thomas Brad (Trey) Hillman
プロ野球選手・指導者。現・カンザスシティ・ロイヤルズ監督。
右投右打、ポジションは外野手。背番号は88番。
2006年に、金村暁の「絶対許さない。外国人の監督だから個人の記録は関係ないのでしょう。顔も見たくない」という発言で、
関係が悪化するかと思われたが、金村が札幌ドームで試合前に謝罪したことで、ヒルマンは彼の非礼を許した。
1963年1月4日生まれ。米国テキサス州出身。
1985年、マイナー契約でクリーブランド・インディアンスに入団。
1987年、現役引退。
1988年、スカウトに転じる。
1989年、ニューヨーク・ヤンキース1Aのマイナーコーチに就任。
1990年、ヤンキース1Aオネオンタ・ヤンキースの監督就任。52勝26敗で1位。
その後、ヤンキース1A3球団の監督を務め、バーニー・ウィリアムスを育てた。
1997年、ノーウィッチ・ナビゲーターズ(2A)の監督に昇格。
1999年、コロンバス・クリッパーズ監督就任。83勝58敗で1位となり、ベースボール・アメリカ誌から最有望監督賞に選ばれる。
2002年、テキサス・レンジャーズ育成部ディレクター兼フィールドコーディネーター就任。
2003年、来日し日本ハム・ファイターズの監督に就任。
北海道日本ハムファイターズとなる2004年、3位となりプレーオフに導く。
2006年、レギュラーシーズン1位で2度目のプレーオフ進出→みごとリーグ優勝を果たす。そして日本シリーズで中日ドラゴンズを下し、日本一に。お立ち台で発した日本語・「シンジラレナーイ!」が印象的。
2007年9月に今シーズン限りでの退任を表明。理由は「家庭事情」とのこと。
リーグ優勝で発した「シンジテマシター!」もまた記憶に残る日本語である。
2008年よりカンザスシティ・ロイヤルズ監督に就任。
2011年より、マッティングリー監督の元で、ロサンゼルス・ドジャースベンチコーチに就任。