the Republic of Turkey(英)
第一次世界大戦後にムスタファ・ケマル*1(ケマル・パシャ)が帝政(オスマン朝)を倒し、トルコ人の民族国家として再生した国家。ケマルによってイスラム国家から近代世俗国家へと改造された(1923年)*2。
※「トルコ共和国」は、日本の外務省による国名表記
トルコ民族の歴史については別キーワード参照。
現在のトルコ共和国の建国の父(初代大統領)となったのは、オスマン帝国の軍人であったムスタファ・ケマル(ケマル・パシャ)である。
青年トルコ運動に参加していた(そしてそれに慎重に距離を取っていた)ケマルは第一次世界大戦中に急速に頭角を現し、戦後の混乱したトルコ内での最有力者となる。アンカラで大国民議会を立ち上げたケマルは、侵入したギリシャ軍などを破り、1923年10月29日 ローザンヌ条約に基づき [[トルコ共和国]] が成立する。
ケマルはオスマン帝国(というかイスラム帝国)の諸制度を解体する*4とともに、ローマ字の導入などに代表される様々な近代化施策を実施し、一代にして近代国民国家であるトルコ共和国を築き上げた。以後、「ケマル主義」がトルコ共和国を規定することになる。
第二次世界大戦に際しては中立を守り、大戦末期になって枢軸側に宣戦布告している*5。
1952年、NATOに加盟するなどして西側陣営の一員として歩む。しばしば軍によるクーデターと民政移管を繰り返し、政情は安定しなかった。
1974年にはトルコ系住民とギリシャ系住民の対立の激化したキプロスに派兵、北キプロス・トルコ共和国を立てている(国際的には承認されず)。
永年EC/EUへの加盟を申請していたが、2005年10月になってようやくEUへの加盟交渉が始まっている。
*1:表記ゆれにより、ムスタファ・ケマル・アタテュルク、ケマル・アタテュルク とも記述されている事がある
*2:この時の経緯から、首都は最大都市のイスタンブールでなくアンカラにおかれている
*3:オスマン時代はイスラム帝国の常として多民族が混在していた。共和国建国に前後していわゆる「民族交換」が行われ、アルメニア人やギリシャ人など多数が追放され、逆にトルコ人多数が移入された
*4:イスラームは共同体規範を最初から内包している宗教なので、必然的に国家のありようも規定されていることになる。よって、いわゆる政教分離とか世俗国家といった考えとはまったくなじまないと考えられていた
*5:朝鮮戦争に出兵したトルコ兵が多数戦死したのは、このときの報復で激戦地に投入されたからだとも言われる