Tora! Tora! Tora!
1941年12月8日に行われた、日本軍による真珠湾攻撃の全容を日米双方からの視点で描く、ドキュメント・タッチの戦争映画超大作。映画の多くは情報戦を中心としたサスペンスになっており、アクション場面は終盤のみの為、アメリカではヒットしなかった。だが破格の製作費を掛けられた攻撃場面は大迫力となり、以後、様々な映画でフィルムが流用されることになる。 尚、日本側監督として起用されていた黒澤明が途中降板したことでも有名。
12月8日は、太平洋戦争の始まった日だ。真珠湾攻撃だ。短期決戦で臨んだ戦争だったが、結果的に若者に特攻させても神風すら吹かなかった。軍人・軍属などを合わせて約230万人、外地の一般邦人30万人、内地の一般人が50万人、合わせて約310万人もの死者が出た。沖縄では3万近くの軍関係に対し民間人は12万人が亡くなっている。沖縄県の4人に一人が亡くなった。負傷した人はこの数十倍になるはず。 ウクライナやイスラエル・ガザで人が人を殺している。戦争のもとでは敵を殲滅させることしか考えない。兵隊は駒で敵はアリ。巣は根から絶たなきゃ駄目。先日のニュースでハマスの地下トンネルに海水を流し込むという作戦をするよう…
岸田総理大臣は7日、「アメリカが、、外交的にボイコットするということを発表した、、、。わが国の対応は、、、、、国益の観点からみずから判断していきたい。、」 いうまでもなく人権弾圧問題に『国益』を当てる発言は変でしょう。 昨日は真珠湾攻撃から80年でした。20年前の映画「パール・ハーバー」、51年前の「トラ・トラ・トラ!」。 「敗戦の総括」 アメリカに敗戦したのに、国内外やアジアへは、終戦となったのは、日本はアメリカだけに負けた意識があったからです。天皇の名のもとに戦い、天皇のことばで終戦にしました。その後、国際情勢の変化がに恵まれ、敗戦の悲惨さを噛み締めるまもなく復興や経済成長へと進んだため、…
原題は「Per un pugno di dollari」(一握りのドルのために) ドル3部作の4K復元版が公開され 劇場で見れる日がくるとは夢にも思いませんでした 本当に素晴らしかったです セルジオ・レオーネがまだ無名の頃 イタリアで公開された黒澤明の「用心棒」(1961)に感銘を受け 西部劇に作り変えようとしたのが発端ということですが 当時はイタリア人監督が日本の時代劇をスペインで撮影するという発想を 誰も信じなかったため(笑) 東宝はレオーネが申請したリメイク権許可依頼を無視 のちの映画のヒットにより著作権侵害だと告訴し (リメイク権の依頼があったことは裁判中に判明) 「荒野の用心棒」の製…
カリフラワーやブロッコリーなど固い野菜をコトコト煮るものを「くたくた野菜」と言う。ほうれん草が余っていたので、ペペロンチーノにしてみるかと思ったら大成功の成功のトラ・トラ・トラだった。ベーコンと合わせてバターでソテーするのが一般的だが、ペペロンチーノでも試して欲しい。ほうれん草はイタリア語で「スピナーチョ(spinacio)」と呼ばれる。 ほうれん草(くたくた野菜)ペペロンチーノの材料・食材 ガロファロ1.5mm:100g ほうれん草:3束 青森県産ニンニク:1片 アンチョビ:1フィレ カラブリア産の唐辛子:1個 オリーブオイル;最後のひと回し レシピの参考にした小倉シェフはブロッコリーやカリ…
ニューイヤーズ・イブの夜,米国豪華客船ポセイドン号は,様々な人々の人生を乗せてアテネに向かっていた.しかし,その時海底地震が発生し,数分後船は大津波にのまれて転覆,一瞬のうちに数百名の生命を奪う大惨事となった…. 本作と「タワーリング・インフェルノ」(1974)が,1970年代ディザスター・ムービーの双璧をなす.このジャンルが未だブレイクスルーを果たせないのは,アメリカン・ニューシネマの余韻をパニック描写に暗然と盛った1970年代の妙技を,超過できないことにある.ここでいう妙技とは,群像劇を意味する.信念と決断力に秀でたスコット牧師.自信喪失に陥りつつ,ポセイドン号から脱出する途で自信を甦らせ…
クロサワの失われた10年 黒澤明には失われた10年という時期がある。『赤ひげ』が公開された1965年から、1975年に『デルス・ウザーラ』が公開されるまでの10年間のことだ。 1960年代半ば斜陽期にあった日本映画界は、世界を意識する黒澤明監督にとって窮屈なものとなっていた。そこで黒澤は『赤ひげ』をもって東宝との契約が解消されたのを契機に、ハリウッド資本との提携を目論む。 このとき黒澤明は55歳、映画監督として円熟期を迎えた年齢だった。そこで黒澤プロダクションのプロデューサーをアメリカに派遣し、ハリウッドの映画制作会社と共同で作ることになったのが『暴走機関車』である。自ら黒澤映画への出演を申し…
『デルス・ウザーラ』撮影のいきさつ ハリウッド進出に失敗したのち復帰を目指し制作した『どですかでん』も興行的に振るわず、黒澤明は1971年12月自宅で自殺未遂騒動を起こす。そんな失意の黒澤に映画制作の話を持ちかけたのが、ソ連の映画撮影所モスフィルムであった。 その申し出があったのは自殺未遂騒動の前、1971年2月にシンポジウムで来日していたソ連の映画人からだ。その年の7月に今度は黒澤が映画祭の出席のためソ連を訪れると、改めて映画制作の話が持ちかけられる。黒澤はこの申し出を快諾すると具体的な話にも及び、シベリア探検の物語『デルス・ウザーラ』が映画化の有力候補となった。 ソ連映画界からの監督依頼は…
〈2020年11月10日〉 巨匠監督の撮影現場 黒澤 明の映画はどう作られたのか。制作の現場を捉えた貴重な記録映像と、録音テープや台本などの秘蔵資料に加え、出演者や関係者の証言をもとに黒沢監督の映画に迫ったNHK BS1のドキュメンタリー番組『黒沢 明映画はこうして作られた 証言秘蔵資料からよみがえる制作現場』が8日に放送された。 番組では黒澤映画の全盛期である50年の『羅生門』から63年の『天国と地獄』までを前半で、それ以降の作品を番組後半で取り上げ、その制作現場を関係者の証言と秘蔵資料で振り返る。 黒沢組の俳優・仲代達矢、山崎努、井川比佐志に加え、スクリプターの野上照代、カメラマンの木村大…
新映画原理主義・第九回「ワイルドで行こうぜ!~コーネル・ワイルド」 第一章 ハンガリーからアメリカへ コーネル・ワイルドは1912年10月13日、ハンガリーのプリュエヴィドザ(現在はスロヴァキアの一部)に、ユダヤ人家庭のコルネル・ラヨス・ワイズとして生まれた。1920年、8歳の時に両親と姉と共にニューヨークへ移住した。家族はみな英語名に改名し、コーネルもコーネリアス・ルイス・ワイルドと名を改めた。ニューヨークのタウンゼントハリス高校を卒業し、ニューヨーク市立大学シティカレッジの医学部に入学し奨学金を受けるが、演劇熱に侵されてシオドア・アーウィン演劇研究所に通い大学は一年で中退してしまう。一方、…
大葉は素晴らしい。清涼感があり、料理の最後にちょこんと乗せるとめっちゃ映える。しかも安い。98円の税抜きで買える。身体にも財布にもやさしい。ありがたいことに量が多いからこそ冷蔵庫に余ってしまっている人も少なくない。そんな余り物の大葉を一掃し、美味しいパスタにメタモルフォーゼするレシピを紹介する。 伝説のスパゲティ・バジリコ バジルとバジリコ バジルは大葉で代用可能 スパゲティ・バジリコ(本家) スパゲティ・バジリコ(本家)の材料 スパゲティ・バジリコ(本家)のレシピ スパゲティ・バジリコ(大葉) スパゲティ・バジリコ(大葉)の材料 スパゲティ・バジリコ(大葉)のレシピ バジル尽くしスパゲティ・…
「零戦」の正体はアメリカ軍機だった!? あらゆる軍用機に扮した「テキサン」の七変化 名優か大根役者か(乗りものニュース) - Yahoo!ニュース こんにちは、航空ファンの皆さん。今回は、映画『トラ・トラ・トラ! 』で日本軍機の役を演じた「テキサン」という航空機について紹介したいと思います。 「テキサン」は、アメリカが開発した高等練習機で、第2次世界大戦中はアメリカ軍のほか、連合軍の国々や戦後の日本の自衛隊でも使用されました。 しかし、その細身の低翼単葉機というフォルムは、日本軍機に似ているという特徴がありました。1 そこで、映画で日本軍機を再現する際に、よく「テキサン」が改造されて登場しまし…
ズミントウの稲田が余計な口出しをするから妙なことが起き始めている。古ろ柿を股間に吊るした、男が女風呂に入って「体は男でも心は女だ」と申し開きをしたのは記憶に新しい。 さて、これが過激、加熱するとどうなるのか? ■排泄行為は全人類共通。男性・女性と区別するのはおかしいとして公衆トイレの共有化を訴える。 ■公衆浴場・温泉施設の男女差別はオカシイと完全混浴化し脱衣所もすべて共通空間にすると主張する。 ■スポーツウェアの性差別を撤廃し共通化し競泳用水着などを男性と同じデザインにすべきとのたまわる。 ■男性にも乳房はあるし、女性だけ隠すことが差別を生むからブラジャーの廃絶すべきだという。 ■自然に任せる…
☆◆ 今日のつぶやき・覚え書き・ ☆◆ 今日は(2023年・令和5年)師走は(しわす)12月8日(金曜日)大安です。・・・・ 奈良(北部)の天気予報・ ・ 晴 ・・ 16℃・02℃・・・・ (^^)今日も お立ち寄り 下さいまして 感謝します(^^) 今日は何の日。 お話しのネタ があれば幸いです。 (^^) ☆◆ ~今日は何の日~ ☆◆ ☆◆ 12月08日 御事納め ( 年中行事) この日は農作業など一年の作業が終わる日であり、農事が終わることを祝って行った行事のことも意味する。 2月8日に農作業など一年中の行事の始まりである「御事始め(おことはじめ)」または「事始め」があるのに対し、この日…
本日12月8日は太平洋戦争開戦記念日。1941年(昭和16年)12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍が真珠湾のアメリカ軍基地を攻撃し、3年6ヵ月に及ぶ大東亜戦争・対米英戦(太平洋戦争)が幕を開けました。終(敗)戦絡みの作品は8/15で取り上げ続けてきましたが、開戦絡みの作品はあまり俎上に上げておりません。「パールハーバー」とか「ミッドウェイ(1976/2019)」とかが有名どころですが、戦勝国目線で大東亜戦争を語られても…。「トラ・トラ・トラ!」は舛田・深作パートは良いのですが、リチャード・フライシャー演出パートがどうにも退屈で。という訳で、開戦絡み/真珠湾絡みでグッと…
2001年発表の本書は、以前「こんなに弱い中国人民解放軍」「日本転覆テロの怖すぎる手口」を紹介した軍事ライター兵頭二十八氏の初期作品。戦争をリードするのは古来技術だが、その比重が近代には途方もなく大きくなった。国力が10~20倍ある米国に挑んだ帝国陸海軍の所業は無謀というしかないが、やはり技術においても大いに劣っていたことが本書で明らかになる。 日本海軍が戦力で勝っていたと考えられる1941~42年夏まででも、端々を見ればその劣勢は明らかだった。それを覆さんと(もしくは少しでも縮めようと)山本司令長官が考えたのが、陸上攻撃機と戦闘機(零戦)の長距離攻撃だった。しかし、米国太平洋艦隊の根拠地ハワ…
天袋の前にたたずむO次郎。ひさしぶりですね。 冬の猫さまは暖かい空気をたどって上へ上へと登ってゆきます。春から秋の終わりまでずっと床上生活でしたが、これからは高い処を転々とすることが多くなりますよ。 あーOちゃん。すいませんが今天袋の中はぎゅうぎゅう詰めで。 現状、まったく隙間がない状態で入れません。もうしわけありませんね。ぺこぺこ。 仕方がないのでハンモックに入ったO次郎ですよ。夜景を眺めているうちに眠くなってきましたね。 むにゅっと飛び出す、あんよとおてて。 どうやってその大きさがハンモックに収まっていたのかは触れないでおきますが。何だか椅子に座っているみたいな感じですわね。 べんべろ。べ…
生まれ変わったらバターになりたい。食パンはパンが目当てじゃない、バターを食べてるんだ!そんなバター好きに捧げるパスタを紹介したい。ギニュー特戦隊のバータにも食べてもらいたい。満足できなかったらチョコレートパフェを奢ろう。 バターパスタは「アル・ブーロ」 背徳の焦がしバターパスタの材料 背徳の焦がしバターパスタの作り方・レシピ バターパスタは「アル・ブーロ」 材料や作り方の前に大事な話をする。バターで和えるパスタを「Pasta al burro(パスタ・アル・ブーロ)」という。「al」は「〜に」、「burro」がバター。直訳すると「パスタにバター」。「今日はバターパスタでも作るか」ではテンション…