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ディオゲネス

(一般)
でぃおげねす

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ディオゲネス(Diogenes, 紀元前412年? - 紀元前323年?)は、ヘレニズム期に活躍した、犬儒学派(キュニコス学派)を代表する哲学者である。

さまざまな奇行でも知られ、「狂ったソクラテス」の異名をとる。

一般には樽に住んだといわれるが、壺の間違え。この時代にはまだ樽はなかった。

ディオゲネスは、多くのエピソードが知られているが、一体どんな学説を説いたのかあんまりよくわからない。たとえば、プラトンが「二本足の、羽のない動物である」と「人間」を定義したのを聞いて(しかも好評を得ていたと聞いて)、ディオゲネスは雄鳥の羽をむしりとって、それをさげてプラトンの教室に入って行き、「これがプラトンの言う人間だ」とやった。この時以降、人間の定義には「平たい爪をした」という語句がさらに付け加えられることになったのだけど、ディオゲネスの批判で「人間の定義」が進歩したとは思えない。

ディオゲネスはあるとき、ゼノンという者のパラドクスを聞いた。あの「アキレスは亀に追いつけない」とかいう、運動の否定を述べたものだ。それを聞いて彼は、黙って壺の中から出て、そこらへんを歩いて見せた。弟子が感心して「さすが師匠。愚にもつかない論説に、黙して行動で論駁された!」樽哲学者は、弟子を殴りつけた。この阿呆!どんな論説であれ、相手が言葉できてるんやから、言葉でかえさんかい。それが論駁ってもんや。といいながら、自分もまず殴ってる。

 享楽主義者アリスティッポスの「居候の哲学」に対して、無欲主義者ディオゲネスが「樽(瓶)の生活」で対抗したことも有名である。 アリスティッポスは自分の享楽にも禁欲にもなんの価値もおかなかったが、ディオゲネスは自分のみずぼらしさになんの価値もおかなかった。 あるときディオゲネスがキャベツを洗っているところに、アリスティッポスが通りかった。 「やあ、ディオゲネス君」 アリスティッポスが言った。

「君が人間との付き合い方を心得ていたら、キャベツなんて洗わなくてもすんだろうにね」

「そうだね、アリスティッポス君」

ディオゲネスは答えた。

「君がキャベツの洗い方を心得ていたら、王さまのあとなんか追いかけずともすんだろうにね」 アリスティッポスはいつも王さまの周りをうろついていたために「王の犬」と呼ばれたが、ディオゲネスは町中をうろついていたため「ただの犬」と呼ばれた。

 ソクラテスは神託を受けて哲学者としてデビューし長年の哲学活動のため恨まれ処刑されたが、ディオゲネスもまた神託を受け、貨幣改鋳者(贋金造り)としていきなりを追放された。 ディオゲネスに下された神託は「ポリティコン・ノミスマ(国の中で広く通用してるもの=諸制度・習慣=道徳・価値)を変えよ」といったものだった。彼はそれに従って、実際に通貨=価値を変えてみせた。ディオゲネスはそのため、国外に追放されたのである。

 ソクラテスが知恵者を論破しつつ、つまり通用している知が「贋金」に他ならないといったのに対して、一方ディオゲネスは貨幣偽造を行ないそれを発行することで、あらゆる通貨が「偽物」に過ぎないことを示して見せているのである。 ところでソクラテスは、その否定・相対化の末に、地上の流通に属さない「真なる知」へと人を導いて行くのであるが、ディオゲネスはただすべては「贋金」だというだけである。ディオゲネスは、ソクラテスばりに己の無知を指摘されても、このように答えるのである。「たとえぼくが知恵のあるふりをしているだけだとしても、そのことだってまた哲学をしていることなのだ」(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシャ哲学者列伝』第6巻第2章64)。

 ディオゲネスが行なったのは「真なる知(貨幣)」を造ることでなく、「無知=贋金」を生み出し流通させることで、「唯一の貨幣」という価値を破産させることだった。

キュニコス派 シニシズム

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