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スカイラブ

(サイエンス)
すかいらぶ

解説:人類初の月旅行をめぐるアメリカと旧ソ連の競争は、アメリカの勝利におわりました。しかし、ベトナム戦争と、これにともなう不景気のため、アメリカの宇宙計画は、アポロ以後、縮小をよぎなくされました。スペースシャトルの基本設計方針は1972年に決まったものの、この時期、アメリカには今すぐに、実現できる宇宙計画の見通しがたっていませんでした。そこで、アポロ計画の打上げロケットや宇宙船の予備部品を用いて、ソ連のサリュート宇宙ステーションよりも大型のステーションを建造するというプランに注目が集まりました。
 スカイラブの本体は、アポロを打ち上げたサターンVロケットの第3段部をベースとしていました。第3段の燃料タンク部分の大きな空間を基地として用いるため、転用とはいえ、ソ連のサリュートよりもはるかに大きな居住空間を確保することができました。残る1段目と2段目により、スカイラブは軌道に打ち上げられました。宇宙飛行士は、アポロ宇宙船の、月面着陸船をのぞく、司令船と機械船とに乗り込み、サターンVロケットで軌道に上がり、スカイラブ本体とドッキング後、スカイラブ本体に乗り移るてはずになっていました。宇宙飛行士の帰還には、もともと大気圏突入用に作られていたアポロ司令船が使われる予定でした。
 しかし、本体の打上げの途中で、太陽発電パネルのうち、側面から展開される2枚の片方が、隕石遮蔽膜の一部とともにもぎとられてしまいました。このため、宇宙飛行士の到着前の基地内の温度は52度Cにも上昇してしまい、乗り込みに先立って、まず、宇宙ステーションの修理から始めなければなりませんでした。
 滞在計画は3次におよび、1974年の終了後も、スペースシャトル完成後の訪問が予定されていましたが、1970年代末、太陽活動が活発化したため、地球の高層大気が膨張、大気抵抗が増加したため、最初の予定よりもはるかに早く、1979年7月に大気圏へ突入、消滅しました。


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