Joe Donald Stanka
1960年代のプロ野球選手(投手)。通称「赤鬼」。右投右打。
1931年7月23日生まれ。米国オクラホマ州出身。190cmをこえる長身。
1961年、故障した杉浦忠にかわり大車輪の活躍をし、南海ホークスのパ・リーグ優勝に貢献。
1964年、リーグ優勝、大阪決戦となった日本シリーズを制し日本一に貢献。
MVP、ベストナイン、最高勝率等のタイトルを獲得。*1
日本プロ野球史上初の外国人の100勝投手でもある。
帰国後はヒューストンで次男の経営する保険会社の副社長に就任。
年度 | 所属 | 背番号 | 備考 |
????〜???? | オクラホマ農工大*2 | - | 中退。 |
????〜???? | ブルックリン・ドジャース | ?? | |
????〜1959 | シカゴ・ホワイトソックス | ?? | |
1960〜1965 | 南海ホークス | 6 | |
1966 | 大洋ホエールズ | 6 |
タイトル名 | 受賞年度 |
---|---|
MVP | 1964 |
ベストナイン | 1964 |
最高勝率 | 1964 |
日本シリーズ最高殊勲選手 | 1964 |
スタンカの放った「運命の一球」の判定を詠った一句。
1961年10月29日、後楽園球場で行われた日本シリーズ南海ホークス対読売ジャイアンツ戦、
ホークスの1勝2敗で迎えた第4戦。
3対2と南海ホークスのリードで迎えた9回裏、3番手のピッチャー祓川正敏が死球を与え無死1塁とすると、
監督の鶴岡一人が4番手として登板させたのは当時戦列をはなれていた杉浦忠に代わってエースとして活躍していたジョー・スタンカ。
スタンカは2アウトをとり、代打の藤尾茂を一飛に打ち取ったかに見えたが、一塁手の寺田陽介が失策、2死1、2塁に。
続く長嶋茂雄はボテボテの三ゴロにしとめ、今度こそゲームセットかと思われたが、この球を三塁手の小池兼司がファンブル。
内野安打とし2死満塁に。
次のエンディ宮本(宮本敏雄)に対してカウント2-1と追い込み、そこからスタンカが投げたフォークボールは低めに決まり、ストライクかと思われた。
スタンカのもとに駆け寄ろうとする捕手の野村克也。
しかし、主審の円城寺満の判定は「ボール」*3
この判定にスタンカ・鶴岡をはじめホークスの選手達は猛抗議。
しかし判定は覆らず、結局次の球を右前に打たれ、逆転サヨナラを許してしまう。*4