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ジェイムズ・ジョイス

(読書)
じぇいむずじょいす

ジェイムズ・アウグスティン・アロイジウス・ジョイス。アイルランド出身の小説家
James Augustine Aloysius Joyce(1882〜1951)。
1882年、ダブリンの郊外に生まれる。そのアロイジウス(イエズス会教育の守護聖人)という洗礼名が示す通り、幼い頃から厳しいイエズス会教育を受け、私立大学のユニバーシティ・カレッジ・オブ・ダブリン(University College of Dublin=UCD)に入学。1900年、大学在学中にノルウェーの劇作家であるイプセンの新作についての評論「イプセンの新しい演劇」(Ibsen's New Drama)を出版し、本人からも賞賛されるところとなる。1901年、アイルランド文芸復興運動を批判した批評「わいわい騒ぎの日」(The Day of Rabblement)を書くが、大学の雑誌から掲載を拒否される。1904年6月10日に妻となる女性ノーラと出会い、翌年トリエステのベルリッツ校に英語教師として赴任する。1907年詩集『室内音楽』(Chamber Music)を出版。以後着実に作品を書き続けていくが、出版社との間で揉め事を引き起こし、1914年になってようやく『ダブリン市民』(Dubliners)を出版、1916年にニュー・ヨークにて『若い芸術家の肖像』(A Portrait of the Artist as a Young Man)(元々は『スティーブン・ヒーロー』(Stephen Hero)という題名で書き進められる予定だった)を出版することとなる。このビルデュンクスロマンである『肖像』によってジョイスは文名を高め、フローベールのような19世紀写実主義作家からの影響下にあるものとして、またH. G. ウェルズからはスターン〜ショーに連なるアイルランド文学の伝統の上に立つものとして評価された。1918年にはロンドンで戯曲『流刑者たち』(Exiles)を出版。1920年に盟友エズラ・パウンドの薦めによって、パリに移る。1922年、シルヴィア・ビーチの援助を受けながら、パリのシェイクスピア書店にて長編『ユリシーズ』を出版。同書はレオポルド・ブルームがダブリン市で過ごした一日を、「意識の流れ」を用いながら綿密に描く長編で、20世紀文学の最高傑作との声もある。この『ユリシーズ』(Ulysses)は初版からT. S. エリオット、エズラ・パウンド、W. B. イェイツ、ヘミングウェイ、アンドレ・ジッドといった当時の代表的な文学者の手に渡り、深甚な衝撃を与えた。後にフランスの作家ヴァレリー・ラルボーによって仏語訳もされた。1927年に詩集『ポムズ・ぺ二イェーチ』(Poms Penyeach)を出版。1939年には、『進行中の作品』(Work in Progress)と呼ばれ、完成までに16年の年月をかけられた大作『フィネガンズ・ウェイク』(Finnegans Wake)をロンドンとニューヨークで出版した。同作に内包された先鋭的な言葉遊びは20世紀小説の極北に位置し、ジョイスと交流のあった才人サミュエル・ベケットによって巧みに仏語訳された。潰瘍を患い、1941年にチューリッヒで亡くなった。
ジョイスは、カフカ、プルースト、ムージル、フォークナーなどと並んで、20世紀前半に小説の可能性を限界まで押し進めた一人であり、影響は洋の東西を問わず多大である。日本では伊藤整、丸谷才一、柳瀬尚紀などの優れた翻訳者の手を介することで、広められていった。因みにジョイスの詩を最初に日本語訳したのは、意外なことに佐藤春夫だったという。

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