Shawn Michaels
WWEに所属するプロレスラーの一人。愛称のHBKは、「ハートブレイクキッド(HeartBreak Kid)」の略。
歴代WWE(WWF)所属選手の中でもトップクラスの人気を誇る。
椎間板ヘルニアのため、一度は引退するも、後に復帰。世界王座にも就く。
ホームタウンはテキサス州サン・アントニオ。アリゾナのスコットデールの空軍基地にて生を受ける。
1985年にTexas All-Star Wrestringにてデビューを飾る。その後、1986年にAWAに移籍。マーティ・ジャネッティと共にミッドナイト・ロッカーズというタッグチームを結成する。タッグ王座を奪取するも、1988年にWWF(現WWE)に移籍。1989年WrestleMania5にて、ロッカーズとしてレッスルマニアへの初出場を果たす。ロッカーズは1990年にタッグ王座戦に勝利を果たすが、対戦相手のジム・ナイドハートの契約問題のいざこざに巻き込まれ、タッグ王座獲得は取り消しということになった。*11992年ロッカーズは解散する。しばらくジャネッティとの抗争が続くが、ディーゼル(ケビン・ナッシュ)をボディー・ガードに添え躍進し、IC王座をめぐる抗争に加わる。レッスルマニア10でのハシゴ戦はWWF初の試みでありながら名勝負となった。1995年特番ロイヤルランブルにて一番手入場にて優勝という史上初の快挙を達成する。
このころバックステージでの派閥"クリック"が結成される。メンバーはマイケルズのほかにレーザー・ラモン、ディーゼル、ショーン・ウォルトマン、HHHら当時のトップスター達であった。ブレット・ハートとの名勝負が繰り広げられるのもこのころ。初の世界王座獲得はレッスルマニア12でのアイアンマンマッチでのことだった。
1997年HHHとチャイナと共にチーム"Degeneration X"が結成される。アンダーテイカー相手に初の"Hell in a Cell"戦を繰り広げたのもこの年。さらにブレット・ハートをハメた特番サバイバーシリーズでの"モントリオール事件"もこの年。
レッスルマニア14のストーンコールド戦で一度引退。しかし、2002年についに復帰を果たし、世界王座も獲得。HHHとの長期にわたる抗争を繰り広げる。長年にわたりWWE(WWF)のトップスターであリ続ける文字通りのレジェンドスター。
ジョージ・ロザリオ
リスト::プロレスラー
*1:ロッカーズのWWFにおけるキャリアでタッグ王座を奪取したことは一度もない。