Regnum Siciliae 1130年から1816年にかけてシチリア島やイタリア半島南部を支配した王国。1816年にナポリ王国と合併して両シチリア王国となった。
お久しぶりですね、本日は長めにやろうかと。 【労働】 近々に退職することになりました。なんとなく、この職場にはずっといるもんだと思っていましたが、こんなしみったれた人生であってもまだまだ驚きと波乱に満ちていますね。ずっといたら、まあ俺がどんなに無能でも40~50ぐらいには年収600~700万の安泰な暮らしを保証されていたとは思うのですけど、致し方ない。 こんなことになってしまった責任分担については、会社4:俺6の割合だと思う。会社4は、①破滅的なマネジメント、②他罰的な人間関係のプレッシャー、③この間の諸々に対する柔軟性のなさ、④基本的に嫌われている、で、俺6は①堪え性なさすぎワロタ、②人間関…
女王の戴冠 1407年ヨーロッパアルテュール王の死から2年 壮麗な棺がナポリの街を行く。自慢の青い空も赤レンガの街並みも、この日だけは色あせているようだ。棺の中で眠るのは、アンリ・ド・モンフォール。アルテュール王の嫡孫、早世した王太子ロベールの子。ナポリの王たる少年だった。 長く、長く続く葬列が少年の死を悼みながら行く。 アンリ王今は亡き王太子ロベールの子祖父アルテュールのあと王位についていた 転落死だったわずか10歳の死 あれは、大層かわいい子だった。母親似の赤毛が愛らしく、ひとたび笑顔になればどんな癇癪持ちだって心和らぐ。モンフォール家が食卓を囲めばいつだってあの子が話題の中心だった。それ…
13世紀末、ハプスブルク家の支配に対し原初三州が「盟約者同盟」を結び成立したスイス。しかし当時はまだ独立した国家の連合体であり、17世紀のウェストファリア条約で神聖ローマ帝国からの独立が認められた後も、18世紀末にフランス革命に巻き込まれ強制的に自由主義と民主主義を植え付けられた後も、その実態は決して変わらなかった。 それが大きく変わるのが、1850年代。1831年の農民解放から始まる「再生」時代も終盤に至り、長く政権を担ってきた農業党が失墜。 代わって台頭してきた保守派勢力が1851年選挙で勝利し政権交代。自由主義改革の進む「再生」時代に対する保守反動の時代を迎えていた。 この状況を憂慮した…
マニャーニ祭り。イタリア版DVDの到着を待ちながら、デビュー作ということで辛抱たまらず、このサイトにて視聴。24-38。Filmaks のリストになし。1)原作者 F.マストリアーニ 1934年の作品でタイトルは「ソレントの盲女」。原作はフランチェスコ・マストリアーニ(1819 - 1891)の同名小説(1852刊)。ナポリ生まれの作家。19世紀に普及した新聞の連載小説で人気で博す。その関心はナポリの下層階級に向けられ、叙述スタイルは絵のように美しく、心和ませるものだが、決して迎合的ではないという。ベネデット・クローチェによれば、「このジャンルのもっとも注目すべき作家」(il più nota…
はじめに 文科省の入試改革を受けて、私立大学の世界史入試問題にどのような変化が生じているかを検証するシリーズ、今回は近畿大学です。 延べ受験者数日本一の近畿大学の世界史はかつてはひたすら客観式の一問一答でしたが、ここ数年は変化が見られます。 今回はぶんぶんが近畿大学の2023年度の入試問題全320問を解答し、合格に必要な心構えを解説します。 2024年度入試直前の更新なので、お急ぎの人は3から読んでください。 問題はこちら。「近パス」に登録必要(無料)。三年×8日分 kindai.jp ちなみに理事長は1月現在こんな感じ。毎日新聞。大学のブランドに影響しないか心配してます。近畿大学教職員組合の…
はい、どうもです。 ここでは、定期テストや大学受験で出題されるであろう内容をまとめております。 今回は「対仏大同盟の結成と崩壊」編です。それでは見ていきましょう。 (1)第1回対仏大同盟(1793~1797) ①結成・フランス国王ルイ16世の処刑とフランスのベルギー進出・イギリス首相ピットが提唱・イギリス・オーストリア・プロイセン・スペイン・オランダ・サルデーニャなどが参加した対仏軍事同盟 ②崩壊・フランス(総裁政府時代)のナポレオン指揮によるイタリア遠征(1796~1797)でオーストリアとイタリア諸勢力を撃破→カンポ=フォルミオの和約(1797)で崩壊 (2)第2回対仏大同盟(1799~1…
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督版「砂の惑星(Dune,2021年)」が公開されて、この話をする調度良い好機が訪れました。 原作者フランク・ハーバートのご子息・ブライアンとケヴィン・J・アンダーソンが、公家アトレイデ、etc.……の後にブトレリアン・ジハドを執筆していますね。 pic.twitter.com/pamuyNssZh — ひろし・カーミット (@misterhiropon) 2021年10月16日 そもそもそれは一体何だったのでしょう?
フリードリヒ2世 シチリア王にして神聖ローマ皇帝 表紙 フリードリヒ2世 シチリア王にして神聖ローマ皇帝 藤澤房俊 著 平凡社 2022年3月9日 初版第1刷発行 本書は、ドイツのシュタウフェン家とシチリアのノルマン朝の血を引き、教皇と戦い続けたシチリア王にして神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世の破天荒な生涯を語っています。 プロローグ フリードリヒ二世とは フリードリヒ二世に対する歴史研究者の評価 ・ブルクハルトはフリードリヒ二世を、あらゆる権力を手中におさめようと、中世の封建的社会秩序を脅かした、イタリア・ルネサンスの僭主に先んじた人物と理解する。 ・最近の研究では、フリードリヒ二世は、ルネサ…
まずは欧州史上の実際の時代区分の話から。最初に欧州中世を以下に三分割したのは歴史家レオナルド・ブルーニ「フィレンツェ人の歴史(1442年)」で、フラビオ・ビオンド「ローマ帝国衰退後の数十年(1439年~1453年)も同様の枠組みを採用し、ドイツの歴史家クリストフ・セラリウス「古代、中世、新時代に分割した通史(1683年)」の出版により通説になります。 中世前期(early middle ages、500年頃~1000年頃)…ゲルマン民族の大移動(蛮族の侵入)からマジャール人、ノルマン人の侵入が収まるまで 中世盛期(high middle ages、1000年頃~1300年頃)…十字軍により西欧…
自分でいうのもなんだけど、正気を疑うほどのジェットコースター振り?
しま:今回勉強するのはノルマン人です!彼らは北方ゲルマン人。ゲルマン人と言えば375年にフン人に圧迫された西ゴート人が、ドナウ川を越えたのをきっかけに、大移動してローマ領内に侵入してきた民族だったよね。今回勉強するノルマン人は、8世紀~11世紀にかけて大移動をする!つまり彼らは“のろまなゲルマン人”! 生徒:のろまなゲルマン…のろ…まん…そっか、だからノルマンっ! しま:いや違うよ!!そんなノルマン人の原住地は、デンマークのあるユトランド半島や、ノルウェーやスウェーデンのあるスカンディナヴィア半島。ここはしっかり地図で確認しておこうね。 生徒:いわゆる、北欧ですね。 しま:そ。彼らの暮らしは交…
難関私立大学になればなるほど出題される文化史のうちよく出題されるキリスト教の歴史、今回は中世ヨーロッパ、11世紀までのキリスト教の普及についてまとめます。 一橋大学の第Ⅰ問では中世の聖俗のあり方を問う出題が頻出です。クローヴィスの改修から宗教改革までは何が聞かれても答えられるようにしておきましょう。 世界の主要宗教分布図。パブリックドメイン 参考文献は前回参照。今回は教科書では山川出版社の『新世界史』(もっとも中世史の記述がとんがっているとの噂)を参考にしています。画像は断りがなければパブリックドメインのものです。 目次 3 ギリシア正教と正教諸国 空欄 補足 ① 俗語聖書は東方が先 ② ソ連…
ドイツ遠征 攻城機が唸りを上げ、飛び上がった巨石が城壁を貫く。ブルターニュ兵たちが喚声を上げて、崩れた壁の隙間を分け入る。アルテュールはその様子をじっくりと陣から見つめていた。 アルテュール3世おおよそこの時期くらいのポートレート 主の年1371年、フランスとドイツの国ざかいルクセンブルクの地。ここをブルターニュ軍は攻めていた。義兄のノルマンディー公シャルル、つまり廃王シャルル・ド・ヴァロワのドイツ攻めを手伝うためである。 義兄シャルル公は神聖ローマ帝国へ攻め込んだアルテュールも同盟に従い参戦 内乱を抱えていた神聖ローマ帝国は抵抗できず諸市は落ちるばかりだった シャルル公は母を通じ、前皇帝家で…
しま:さて、最初のテーマはロシアの南下政策です。 生徒:南下?先生、なんでロシアは南へ行きたがるんですか? しま:ロシアは冬になると、凍てつく寒さでほとんど港が凍っちゃうんですよ。だから不凍港を獲得すべく南下したい! 生徒:ってことは、この黒海からエーゲ海へ抜ける2か所の狭~い海峡を通らなくちゃいけない…ってことになりますよね! クリミア戦争 しま:そういうこと!今のイスタンブルがある方がボスフォラス海峡で、南下するとあるのがダーダネルス海峡!当時この海峡はオスマン帝国の支配下にありました。 生徒:ということは、ロシアとオスマン帝国との戦争に… しま:なるんだけど、ロシアが進出してくると邪魔に…
しま:さて、ナポレオンがライプツィヒの戦い(=諸国民戦争)に負け、”エルバへさらば”したところで、ウィーン会議が開かれました。1814年です。この会議の目的は、フランス革命とナポレオン戦争によって混乱したヨーロッパの秩序を回復すること!生徒:ウィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!しま:…会議の参加国は、オスマン帝国を除く全ヨーロッパの君主・政治家たち。議長はオーストリアの外相メッテルニヒです。この人は自由とか平等とが大嫌いな人。さて、ここで問題です!この会議の参加国の中で一番居心地が悪いのはどこの国でしょう!?生徒:えっと…この会議の原因を作った、フランスですか?し…