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グレゴリー・ベイトソン

(読書)
ぐれごりいべいとそん

グレゴリー・ベイトソン、アメリカの文化人類学者。1906〜1980年。一時期5歳年上のフランツ・ボアズの愛弟子;「マーガレット・ミード」と結婚しており(1935〜1945年)、1939年に一児を設けている。(;→「メリー・キャサリン・ベイトソン」。両親の逸話をも自叙伝で発表している。)
「変わり者」*ということでも高名な遺伝学者ウイリアム・ベイトソンの三男であり、精神医学者でもあった。(*とはいえ、1905年にケンブリッジ大学の地理学者;アダム・セジウィックに宛てた手紙に初めて「genetics」(=遺伝学)という見えない作用への言及があり、翌年には「交雑に関する第三回国際会議」において公式発表している。これ以前にも勿論、グレゴール・メンデルが豌豆の遺伝特質を研究し、エルンスト・ヘッケルやヴァルター・フレミングの研究や、ヴィルヘルム・フォン・ヴァルダイヤーが1889年に「染色体」を命名、ド・フリースやコレンス、チェマルクが潜っていたメンデルを再認し、ウォルター・サットンが「ブラチスタラマグナ」というバッタの・そしてテオドール・ボヴェリがウニから染色体を実証し、……という流れの真っ只中にあったのも事実なのだが。)
「自然からできた人間」がやがて「人間は自然を支配できる」と思い上がるに至れた過程を逆溯上するシステム理論という、最も個性の強い独特な人類学を展開した。
つまりマクルーハンの援用であり、サイバネティクスやゲーム理論へのラジカルな逆説を行った。
主著;『精神の生態学』では、幼児が親に「どうして立派な大人たちは、何でもカンでもゴチャ混ぜにしてしまうの?」という素朴な質問をし、親が苦戦しながら答えていくというスタイルで森羅万象が語られる。
これは何教の何宗という固有名詞が伸さ張る以前の、原初的な説話のスタイルであり、教育たるものの根本中の根本だ。
よって、ジャン・フランソワ・リオタール如きによって書たられた『子供たちに語るポスト・モダン』のような、“押し付け構しさ”の悪臭が芬々していない。
ドゥルーズ&ガタリはベイトソンから「プラトー」(=丘)という概念を貰ったし、浅田彰は彼の「ダブル・バインド」を連呼していてメジャーになった。
今日では多くがドゥルーズやガタリ研究からベイトソンへ到るため、彼の分厚い本たちはいささか迂遠に思えるだろうが、裏を返せばポストモダンはテンポが良すぎて「浮遊せるシニフィアン」だ。対するにベイトソンは地に足が着いているのであり、そうでありながら、彼以前の人類学に欠落していた科学性が骨太に備わっており、極めて高貴なのであり、あるいは今日、最も打がった・オッシャレーな読書かも知れない。

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