ヨーロッパでいつごろから去勢歌手が存在したかは定かにされていないが、バロック時代(17〜18世紀)のイタリア・オペラの花形的存在だった。
バロック・オペラの主役はたいていが女声*2に当てられており、カストラートかプリマ・ドンナが務めた。カストラートが女性役を歌う事も、女性歌手が男性役を歌う*3事も、珍しい事ではなかった。また本来のベル・カント唱法も当時のカストラートたちの功績である。
19世紀以後はヒューマニズムの観点と、テノールやバリトンといった“自然な”声がもてはやされるようになったことから、次第に衰退する。1870年には教皇庁から正式に去勢禁止令が出され、カストラートはヴァチカンの聖堂に細々と存在するのみとなった。20世紀はじめに最後のカストラートが亡くなり、歴史上からは姿を消した。
最後のカストラート、アレッサンドロ・モレスキの歌声が聴ける貴重な録音。
少年をカストラートにするための去勢手術は、変声などの第二次性徴が現れる思春期以前に行なわれる。大体6〜14歳の間で、8〜10歳で行なわれることが多かったらしい。あまりに大きくなると手術の甲斐もなく変声期を迎えてしまうこともあるし、幼すぎると手術そのものに耐えうる肉体が出来ていないからである。
貧困な家庭の口減らしであったり、一攫千金の夢を託して去勢される少年達がほとんどであるが、重篤な病気や落馬、犬や家畜による怪我を“表向きの”理由とした。自らの肉体を止むを得ない理由もナシに損なう事は、教会の教えに背くからである。
勿論、中には裕福な家庭の子息もあり、自らの意志でカストラートになる者もいたが、それらは全体から見ると、ごく一部であったと推測される。
手術の成功率は、それを行なった者の腕や環境によって大きく左右された。というのも、医者の手によって施術される者もいたが、それ以上に、肉屋やフィガロ(理髪師)の手によって去勢を受けるケースが多かったからである。また、麻酔を使用できる環境でない場合は、乱暴な手段で気を失わされたり、術後に不衛生な場所に放置されたりすることもあるため、生還して無事(?)カストラートになれない子供もそれなりにいた、と言われる。
去勢と言っても、中国の宦官のように外性器全てを切除されるのではなく、睾丸のみを摘出するため、女性との性交が可能であったか、が論議されることもある。実情は明らかではないが、彼らがご婦人方にモテたことは事実である。
1996年の映画「カストラート」(ジェラール・コルビオ監督)のヒットによりカストラートの存在は再認知されるようになった。映画中のカストラート・ファリネッリの歌声は、カウンターテナー、レイギン(♂)の歌声とソプラノ歌手、ゴドレフスカ(♀)の歌声をコンピュータ技術によって合成したもの。