【Oświęcim】 ポーランド南部、シレジア地方の鉱山都市。 中世以来泥炭掘削がおこなわれ鉱業と交通の要衝として繁栄した。 1939〜1945年のナチス・ドイツ占領下では多数の労働収容所、強制収容所、絶滅収容所が置かれ、都市名はドイツ語表記【Auschwitz】に改変されていた。 戦後は工業都市として再発展を開始、現在にいたる。 アウシュヴィッツ収容所跡が世界遺産に登録され国立博物館として整備されると、ホロコーストのトポスとして世界各地から人々が訪れる場所となった。
シャワーを浴びよう プラハからワルシャワへ向かう夜行列車にて。 楽しい夕食も終わり、日付も変わったが、寝る前にもうひと仕事。シャワーを浴びることにする。 ▲主に石鹸が重要。 水と一緒に配られていたアメニティを持って…… ▲立っている場所の後ろと前を撮ってみた。 車両端のトイレへ。 シャワールームはトイレ内に併設されている。285系(「サンライズ瀬戸・サンライズ出雲」)のようなシャワールームは無いのだ。寝台車に設置されているので、この設備代も寝台料金の内か。 ▲装備品。 シャワーヘッドは特に変哲のない銀色のもの。ボタンを押すと湯が出てくる仕組みになっている。水の勢いはそこそこで、温度を上げればち…
バスでオシフィエンチム(アウシュヴィッツのポーランドでの呼び名)へ行き日本人公認ガイドの中谷剛さんの案内で、まずアウシュヴィッツ第1収容所(20ha)を、その後ビルケナウへ移動し第2収容所(170ha)を見学しました。おびただしく山のように積まれた犠牲者の遺品(トランク、眼鏡、義手・義足や松葉杖、髪の毛等)、ずらりと並んだ穴だけの便座、家畜小屋のような部屋の3段ベッド、集団絞首台、処刑場、ガス室・焼却炉等どれを見ても当時の残虐な様子が伝わります。 私は、旅行前にアウシュヴィッツ関係の本を数冊読み、関連のDVDやテレビ番組を見てその残虐さやむごさをいやというほど叩き込まれていたためか、あるいはM…
一条真也です。東京に来ています。20日の日曜日、親戚の葬儀に参列してから幡ヶ谷の斎場へ。火葬終了後は新宿に出て、出版関係の打ち合わせをしました。その後、新宿武蔵野館を訪れ、上映中の「アウシュヴィッツの生還者」を観ました。ナチスの蛮行を描いただけでなく、ハリー・ハフトという実在のプロボクサーが主人公ということで、ボクシング映画の側面もあり、非常に興味深かったです。 映画ナタリーの「解説」には、「アウシュヴィッツ強制収容所の生還者の息子が父親の半生について綴った実話を映画化。渡米した生還者が、恋人に生存を知らせようとする姿を描く。監督を務めたのは、『レインマン』のバリー・レヴィンソン。『インフェル…
7月25日東欧旅6日目(ポーランド2日目) カトヴィツェに戻ってきて、ほっとした お昼にお菓子を食べてから何も食べてなくて、カトヴィツェ駅構内にあるマックへ チーズバーガーにトマトが挟まったやつと、ポテトのかわりにサラダ、そしてスプライトで30ズオティは高いて! でもやっぱりマックっておいしいね、世界中どこで食べてもマックと中華料理は裏切らないと思っている 夜23時59分カトヴィツェ発、翌午前7時40分着のバスでポーランドの北の街グダニスクへむかいます 宿にあったFlixBusの10%割引を使って32.68ユーロ(約5100円)でちょっとお得 バスは6番に到着って書いてたのに違うバスが止まって…
7月25日東欧旅6日目(ポーランド2日目) アウシュビッツ・ビルケナウ博物館に行くことにしました オープンが朝7時半で、それに行こう!と意気込んでいたけど起きれるはずもなく 6時半に起きてのろのろ準備、朝ごはんも食べて髪の毛三つ編みなんかしてしまって 宿にバックパック置いて駅に向かう 8時半カトヴィツェ発アウシュビッツ強制収容所最寄駅のオシフィエンチム行きの電車に乗ろうと思ったら電光掲示板にででいない、でもGoogleマップにはでている sRという電車に乗りたかったんだけど、窓口でオシフィエンチム行きのチケットくれって言ったら9時半発のS7/S31という電車のチケットもらった12.60ズオティ…
ハンガリーの首都ブダペストからポーランド共和国南部の街クラクフへ向かいます。クラクフはナチス・ドイツの強制収容所跡「アウシュヴィッツ」への起点となる街です。そこで気が付いたのですがハンガリーとポーランドの間にはスロヴァキア共和国が横たわっていて、そんなに大きい都市ではないクラクフへの直通バスや列車の便が少なくて値段も高いのです。ここで、初めて買ったタブレットが役に立ちました。アプリ「GO EURO」で「Polski Bus」(ポーランドの格安バス会社)の安い夜行バスが見つかりました。ネット予約は私にはまだ無理なので「アンダンテ・ホステル」の人にやってもらいました。7.8€(910円)。ちなみに…
お~、マユミちゃんの注射も17年ぶりに復活ですか!! 1940年、1万人を超えるポーランド人将校が姿を消した。3年後、今のロシアとベラルーシの国境付近のスモレンスク郊外で、8つの穴の中からおびただしい数の遺体が発見された。将校のみならず、ポーランドの知識人層が片っ端から殺されていった。その数は22,000人とも25,000人ともいう。「頭」を失わせてポーランド人を奴隷化するためである。この「カティンの森の虐殺」について、ソ連はドイツの所業だとして一切の関与を認めず、その後のポーランド共産党政権下でこの事件はタブーとなった。 その中に1人だけ、女性の名前が残されている。ヤニナ・レヴァンドフスカ空…
このブログの第一回目の冒頭でも述べた通り、ホロコースト否定派はナチスドイツの殺人ガス室だけは絶対に認めません。 ナチスドイツの殺人ガス室はそのほとんどはナチスドイツ自身によって破壊され、現存している殺人ガス室はほとんどありません。それら現存している殺人ガス室についても、そのどれもを「殺人ガス室などではなく捏造されたものである」と否定派は主張しているようです。 中でも、ホロコーストの象徴になっているアウシュヴィッツ収容所の主収容所に現存していて観光用に閲覧可能となっている第一ガス室は、1970年代後半か1980年代くらいから延々とホロコースト否定派の集中攻撃を浴びています。この第一ガス室はどこに…
遊泳プール?それとも消火用貯水槽? ホロコースト否定派が大好物の話題が、このアウシュビッツのプールです。写真に写っているように、三つの飛び込み台のようなものが見えますね。 私自身はこの話題、否定論に非常に憤りを感じていた時期に知ったため、アウシュヴィッツ収容所にプールが存在したところで特に何か問題があるとはちっとも思いませんでした。というか、この話題を知ってすぐに「Auschwitz swimming pool」でググって調べ、プールに関する否定論への反論記事をいくつか見つけたので、よくある話でしかないのだな程度にしか思わなかったのです。 それら否定論への反論の内容は、多分全部、「否定派が遊泳…