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ウィトゲンシュタイン

(読書)
うぃとげんしゅたいん

二十世紀初頭の英国ケンブリッジを舞台に活躍した天才哲学者。オーストリア出身で、1889年に生まれ、1951年に世を去った。
「語りえないもの」とは何か? を一生問い続けた。
ヴィトゲンシュタインとも発音する。

前期の「論理哲学論考」とそれを自ら批判した後期の「哲学探究」との時期に一般にその立場は分かれる。ものすごく雑にいうと前期では言語を像として捉え、後期では像ではないとして使用を通して把握した。

前期哲学について

『論考』は、七つの根本命題から構成されている(一部省略)。
「1 世界は起こっていることの総体である。(*)
 2 起こっていること、すなわち事実とは、事態(事柄)が成立するということである。
 3 事実の論理的像が思考である。
 4 思考とは意味を持つ命題である。
 5 命題は要素命題の真理関数である。
 6 真理関数の一般的な形式は、〔 p,ξ , N(ξ)〕 である。
 7 語りえないことについては、沈黙しなければならない。」

http://www.ne.jp/asahi/village/good/wittgens.html
http://www.kfs.org/~jonathan/witt/tlph.html

後期哲学について

だが記号の生命であるもの名指せと言われれば、それは記号の使用[use]である、と言うべきであろう。
かりに記号の生命(つまり記号に関して重要なもの)が、記号を見聞きするとき我々の心の中に作られるイメージであるとしても、先に述べたようなやり方で、先ずこの心的イメージを眼に見える外的な事物、つまり絵に描かれ、模型に作られたイメージで置き換えてみよう。書かれた記号はそれだけでは死んでいるというなら、描かれたイメージをそれに付け加えたものには生命がある、と言える道理もない。―事実、君が心的なイメージを絵になったイメージで置き換えたとたん、そしてイメージがその神秘的な性格を失ったとたん、文に生命を付与するものがそのイメージであるとは思えなくなる(じつのところ、この心的過程の神秘的性格こそ、君が自分の目的のために必要としたものなのだ)。
我々の陥りがちな誤りを、次のように言い表すことができよう。我々が探しているのは記号の使用であるのに、それを何か記号と並んで存在するものと決め込んで探している、と(この誤りの一因は、またしても、記号に対応するものを求めるというところにある)。
記号(文)はその意義を記号の体系、すなわちそれが属する言語から得ている。簡単に言えば、文を理解することは言語を理解することにほかならない。
文は言語体系の一部としてのみ生命を持つともいえよう。しかるに人は、文に生命を付与するのはその文に随伴する、神秘的な領域に属する何かである、と想像してしまう。しかし、記号に随伴するものが何であれ、それは我々とってやはり一つの記号にすぎないであろう。
(『青色本』 1-5ページ)

http://www.ne.jp/asahi/village/good/wittgens.html
関連語:言語ゲーム

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