1933年、イタリア・パドヴァ生まれ。父親は、イタリア共産党の創立メンバーの一人だったが、ネグリが2歳の時、ファシストに惨殺される。
1956年に新左翼系雑誌『クァデルニ・ロッシ』(赤い手帖)に参加。マッシモ・カッチャリなどと『クラッセ・オペライア』(労働者階級)を創刊する。「オペライア(労働者)主義」の構築に関わる。「大衆化された労働者」「労働の拒否」などの新しい概念を生み出す。
1978年、赤い旅団による元イタリア首相モロ誘拐暗殺事件発生。79年4月7日、ネグリは赤い旅団の「最高幹部」であり、この事件に関与したとして逮捕される。
1983年、獄中から国会議員に立候補。当選。議員特権により、釈放される。しかし、2ヶ月後議員特権剥奪、官憲が逮捕に来る前にコルシカ経由でパリに亡命。亡命中は、ドゥルーズやガタリらと交流。一方、イタリアでは欠席裁判で「国家転覆罪」により30年の判決が出され、控訴審で12年に減刑された。
1997年7月1日、ネグリは自発的にイタリアに帰還。空港で再逮捕、収監される。
2000年、マイケル・ハートと『帝国』を刊行。「マルチチュード」などの概念とともに世界的に注目される。邦訳(『<帝国>』)が2003年に出て話題になる。
ANSA通信によると、左翼知識人として世界的影響力をもつイタリアの政治哲学者アントニオ・ネグリ氏が15日、フランスのパリで死去した。90歳だった。 イタリアの政治哲学者アントニオ・ネグリ氏死去、90歳…左翼知識人として世界的影響力(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース