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アナトリア

(地理)
あなとりあ

 Anatolia
小アジアとも。

 現在のトルコのアジア部分とほぼ一致。トルコという呼称は民族的な概念であるため、地理的・歴史的概念として使用する際、「アナトリア」を現在でも用いることがある。
 古代にはヒッタイト、フリュギュア、リディア、リキア、ウラルトゥ等の諸文明が栄え、マケドニアのアレクサンダー大王は、アナトリアを経て東方への大遠征を行った。ローマの属州のひとつになった。ローマ帝国が東西に分裂した後、のちにビザンツ帝国と呼ばれるようになった東のローマ帝国領となった。11世紀ごろより「トルコ」系民族が浸透、セルジューク朝がビザンツ帝国を圧倒したこともあり、イスラム化が進んだ。ビザンツ帝国の衰退とともに、アナトリアにおいて諸侯が勢力を競うようになるが、15世紀以降、そうした諸侯のひとつで、衰退していたビザンツ帝国を滅ぼしたオスマン朝が勢力を強め、やがてアナトリア全域を支配するようになった。
 20世紀に入り、第一次世界大戦で敗北したオスマン帝国は事実上解体され、アナトリアも中央部を残して、西欧列強およびギリシャの影響下に入ったが、ここにおいて「トルコ」人による「独立」戦争が始まった。この結果、1923年のローザンヌ条約においてアナトリアと東トラキアを領土としたトルコ共和国が成立した。

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