ジョルジョ・アガンベン (Giorgio Agamben, 1942- ) イタリアの哲学者、思想家、政治哲学者。 http://www.aguni.com/hon/back/gogatu/list01.html
http://agambeniana.at.infoseek.co.jp/index_jp.html
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イタリア現代思想の紹介者としての岡田温司 増補 アガンベン読解 (925;925) (平凡社ライブラリー お 19-3) 作者:岡田 温司 平凡社 Amazon 岡田温司の著書には大きく分けて二つの分野があり、ひとつは以前このブログでも紹介した美術史・表象文化論に関するもの。そしてもうひとつは、イタリアの哲学・現代思想に関するものである(もちろんその両者は深く関わり合ってもいる)。そして後者の中で大きな比重を占めているのが、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンの翻訳および紹介である。 前者の仕事についてはこちらの過去記事を参照のこと pikabia.hatenablog.com 今回は、先日…
ケンブリッジ(国際関係論) 東アジア共同体 オリバースローン スチュアート 音楽 ベルリン自由大学 キットラー 石光さん 音楽 声の学際的考察 カルフォルニアバークレー校(政治学) バトラー、アガンベン 音楽 LIPA アジア 音楽:アジアの純真
同じ年に産まれた國分功一郎氏の『目的への抵抗』。哲学に関する本は難しいものが多いが、多少はわかりやすかった印象である(脱線するが、國分でも、モンテディオの我が推しは「こくぶ」、このタメの哲学者は「こくぶん」と読む)。初めて名前を聞いた現代の哲学者・アガンベン。コロナ禍で発表した論考の三つの論点、「生存のみに価値を置く社会」、「死者の権利」、「移動の自由の制限」。いずれもコロナ禍を理由に強いるものではないと主張。哲学者は「チクリと刺す蛇の役割を演じる」という著者の比喩は頷ける。
このブログの開設日は2020年4月14日。説明欄(管理人にしか表示さない?)には、そのような記載がある。最新の記事は、2020年7月4日に書かれたもののようだ。 2020年の4月といえば、僕が養成校の3年生になった頃だ。当時、まだ20歳だった。そんな僕も、今年の7月には25歳になる。ありきたりではあるが、時の流れは早いものだと実感する。2018年末あたりからTwitter(もう今となってはXになってしまったが)での活動を始めたので、当時から付き合いのある人とは丸5年以上を共にしたことになる。いつもありがとうございます。 2020年の4月は、新型コロナウイルス感染症の日本初の感染例が確認されて数…
1/1(月) 本当のところ愛する者だけが相手を傷つけることができるのだ。 (ホルヘ・ルイス・ボルヘス『闇を讃えて』斎藤幸男訳 水声社 p8) 誤りだけがわれわれのものだ。 (p11) これらのしるしはわたしの永遠からこぼれ落ちるのだ。 (p21) われらはわれらの記憶、常ならぬ形象にあふれた空想の博物館、破れた鏡の寄せ集めにすぎない。 (p29) 代る代るに演じてきた自分をもはや覚えていないわたしは単調極まりない壁と壁とが取り巻く厭わしい道、運命を今なぞり行くのだ。 (p38) わたしはあなたが知らずに救う人々なのだ。 (p103) 1/2(火)その1 『辻邦生 全短篇1』(中公文庫 1986…
ハナニラ、ムスカリ、ハナダイコン、ボケ、ユスラウメ。この半月のあいだに咲きはじめた花たち。はじめはあの花もこの花も、と心を弾ませていたけれど、じょじょに焦るような、おいてけぼりにされているような気分に。 3月上旬に気になったイタリアの本たち(3月より前の刊行のものも含む)。 Silvia Cinelli, L'elisir dei sogni(夢の妙薬), Rizzoli, 6 febbraio 2024 Valentina Furlanetto, Cento giorni che non torno(閉じ込められて百日), Laterza, 1 marzo 2024 Claudia Dura…
アガンベンの単著に入っていない論文の集成の書の翻訳。全21篇。 総ページ数500超で、造本も背表紙の厚さを見るといかついが、アガンベン思想の全体的枠組みを体感するのにはもってこいの著作。いずれかの単著を読み終えたのち、広範な領域にわたるアガンベンの思索と著述活動の方向性を一度しっかりと確認しておくのに適した書物。 近代から現代にかけての思想領域の言説の布置を幾通りか提示しつつ自らの思考を展開していくさまは、最先端に挑んで新たな領域を開拓するとともに今までになされてきた思考の系譜を提示するという、理想的な教師の言説を担っているように感じ取れる。 書物としての外形に怯えずに、現代哲学の実践的入門書…
「ホモ・サケル」シリーズの一冊。大量消費社会を超え、生政治にも取り込まれることのない「到来する共同体」に向けてのケーススタディ的著作。イエスのように生きようとしたアッシジのフランチェスコとその後継者としてのフランシスコ会の修道士たちを中心に、世俗の法とは異なる領域で生きようとした人々の生の形式と世俗への主張について考察している。修道院においては人間の再生産(生殖)が基本的には行われないため、外部からの新たな参入者がなければその共同体は衰退し途絶えてしまうが、出家した人々の生が出家しない一般庶民にも影響を与えるということはなにも西欧世界に限ったことではなく、その歴史的な動向を西欧のキリスト教社会…
アビ・ヴァールブルクはドイツの美術史家でイコノロジー(図像解釈学)の創始者。パノフスキーに影響を与え、カッシーラーとも交流が深かった(三人ともにユダヤ系ドイツ人)。 以前から気にかかっていた人物であったが、ジョルジョ・アガンベンの著作でよく参照されていることがきっかけとなり、実際の著作を手に取ってみることとなった。未完に終わった晩年の図像解釈学の集大成的研究「ムネモシュネ・アトラス」が本命ではあったが、予備知識がほとんどない状態で向かい合っても入っていけない惧れがあったので、テーマも執筆発表時期もいろいろなものである講演・書簡・エッセイを集成した著作集別巻から様子を探ることにした。 刺激を受け…
ベンヤミンやショーレムを参照しながらパウロの書簡におけるメシア的なもの・メシア的な時間について考察した短期集中講義録。メシア的な時間とは「過去(完了したもの)が現勢化していまだ完了していないものとなり、現在(いまだ完了していないもの)が一種の完了したかたちを獲得するような星座的な布置関係のうちに二つの時間が入り込む、ひとつの緊張の領域」であると定式化され、その表現のひとつとして韻を持った詩の構造などにも具体例をもって言及しているところなどは、単なる宗教論には終わらない奥行きの深さが感じられる。 www.iwanami.co.jp 【目次】第一日 パウロス・ドゥーロス・クリストゥ・イエースゥ 〔…
中動態。おそらく多くの人にとって耳なじみのない言葉だろう。端的に言えば「能動態」でも「受動態」でもない態のことだ。 例えば、「謝る」は能動・受動のどちらに当てはまるだろうか。謝るという行動は、言うまでもなく謝罪の気持ちを自らの動作で表したものだ。それゆえに、一見すると能動的行為のように思えるが、もし当人に謝罪の気持ちが伴っていなかったらどうだろう。すなわち、「申し訳ない」とは言うものの、心の中では反省していないといった場合である。こうなると、謝るを一概に能動的行為と位置づけることは難しい。自分から進んで謝罪の気持ちを表明していないのだから。 では、受動的な行為に当てはまるかというと、事はそう単…
動物から人間を隔てているものは言語活動ではなく言語活動をもたない状態(インファンティア:タイトルでは幼児期と訳されている)をも持っているところにあるとし、言語活動の主体を構成しつつ行う人間の言語活動の諸相を言語学・哲学・人類学・神学など様々な切り口から論じた論考集。記号論的なものと意味論的なものの差異、ラングとディスクールの分裂を身をもって生きることで経験と歴史を生み出していく人間存在に切り込んでいくシャープな論考。 www.iwanami.co.jp 【目次】序 言語活動の経験 インファンティアと歴史経験の破壊にかんする論考 おもちゃの国歴史と遊戯にかんする省察 時間と歴史瞬間と連続の批判 …
ここで気になるイタリアの新刊をお知らせしているのは、日本語にまだ翻訳されていないイタリア語の本におもしろそうなのがあるのを見えるようにしたいからだが、もうひとつ目的があって、自分が気になる本をメモしておいて、あとでふりかえり、まとめて注文するためでもある。 というのも、円安や配送料の値上がりによって、そうやすやすと外国から本を注文できなくなったからで、吟味してまとめて購入したい。そろそろ注文しようかなと、過去の自分の新刊案内を見ながら物色し、カートにだいぶたまった。でもあとで、「あれも注文すればよかった!」となったら悔しいので、もう少し寝かせる。 2月後半に気になったイタリアの新刊書(刊行がそ…
2007年に亡くなった哲学者の池田晶子さんのことを思い出していたが、 まあ、同じようなことをいつも書いているのだが、「科学教」に注意、という池田さんのご指摘はかえすがえすも個人的にはまさに「目から鱗」状態であった。 アメリカ(南部?)で宗教的なものから、進化論が信じられておらず、教科書にも記載されていない、というようなことを聞いたとき、いや、宗教ってそこまで??と感じたものだが、まあこれはやはり日本とアメリカとの宗教とのスタンスの違いであろう。 アメリカでは(たぶん)土葬がメインで、火葬すれることへの恐怖があるように思う。土葬なら最後の審判時に骸骨が受肉して復活する、というわけだ。 それを「信…