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ぜんじろう

(アート)
ぜんじろう

芸人。吉本興業・東京所属。
1968年1月30日生まれ、兵庫県姫路市出身。上岡龍太郎の弟子。
上岡龍太郎への弟子入りの経緯は、偶然町で見かけた上岡龍太郎に「弟子にしてください」と挨拶して、一緒にいた友達を笑わせようというつもりだったが(浜村淳と間違えたという説もあり)、上岡龍太郎は一目で気に入ったため、そのまま友達を置いて上岡龍太郎が近くの喫茶店に連れて行き、そのまま弟子入りの運びとなる。
月亭八方の弟子の月亭かなめと漫才コンビ「月亭かなめ&ぜんじろう」を結成し、関西の新人漫才コンクールを総ナメにするが解散、その後も「吉本印天然素材」の前身となる「死ね死ね団」をリーダーとして結成するが、「吉本印天然素材」の立ち上げ直後にグループを事務所方針で脱退などを経て、ピン芸人としてビデオモニターを利用したコントや漫談の先駆けとなったり、ラップを駆使した漫談とも音楽とも取れるステージを行うなど、これまでにないスタイルの芸人として活動し注目を浴びる。
深夜のラジオパーソナリティとして、関西の中高生を中心にカルト的な人気を博していたが、1992年から1996年まで放送された深夜番組「テレビのツボ」(MBS毎日放送)の司会にテレビでは全く無名だったぜんじろうが大抜擢されたことをきっかけに、当時関西でかなりの人気を得た。当時の番組スタッフはぜんじろうの起用について、「(収録スタジオの)うめだ花月シアターの近くに住んでいたから、交通費がかからない」という理由を述べていた。
しかし吉本興業や毎日放送の『平成の明石家さんま』として大々的に売り出し、特に毎日放送は看板ラジオ番組の「MBSヤングタウン」の花形である公開放送週の担当にした上で、月〜金のテレビ帯司会番組を夕方、夜の両方を担当させるなどの売り出し方が本人の勘違いと消耗を生み、その後「売れて天狗になって自分を見失った芸人」の代名詞とされてしまった。
しかしそれについては、本人のその時の実力以上の売り出し方をして、芸人としての習作期、種蒔き期にその余裕を与えなかった事に加え、過酷なスケジュールと人気者として持ち上げすぎ、増長させてしまった毎日放送、吉本興業にも責任の一端があると言われており、吉本(特に大阪本社)はぜんじろう以降若手芸人の売り出しに対して、慎重を喫するようになったと言われている。
現在は海外での活動を経て、外国語漫談、人工知能ロボットとの漫才、外国人との漫才コンビ・すしぶらざ〜ずなど様々な活動に挑戦しながら、地に足のついた幅広い活動で存在感を示している。インターネット上での活動展開も意欲的でブログやウェブラジオなども積極的に導入している。
定期的なトークライブやCSでの番組を、姫路からの弟分・種浦マサオらと展開している。

ぜんじろうの活動が分かるページは以下の通り。

ぜんじろうのwebで聞ける声日記(毎日更新)
http://zenjiro.com/dedizen/

ぜんじろうのwebで読める日記(毎日更新)
http://blogs.dion.ne.jp/posizen/

ぜんじろうのwebで見れるテレビ
(毎月 第2 第4 土曜日更新)
http://entame.express.jp/tvinfo/all_ex/zentane.php

スシブラザーズ公式ホームページ
http://www.thesushibrothers.com/

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