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「奇跡」

(音楽)
きせき

2004年9月にリリースされた倖田來未のシングル。
NHK「Jリーグ中継」イメージソングに使われている。

奇跡 (CCCD)

奇跡 (CCCD)

奇跡(DVD付) (CCCD)

奇跡(DVD付) (CCCD)



* リストリスト::曲タイトル

「奇跡」

(音楽)
きせき

女子十二楽坊のアルバム名。
現在、日本国内で発売されたものは2種類ある。いずれも2002年1月北京でのライブによる(S.D.花園DVD映像を除く)

  • ASIN:B0000C8279
    • ディスク1(CD)奇跡、自由、相愛己無、魂之舞、花児興少年、感謝年華、翻身道情、新古典主義、勝利、S.D花園、追逐、賽馬
    • ディスク2(DVD)奇跡、自由、相愛己無、香格里拉、魂之舞、山水、花児興少年、阿拉木汗、感謝年華、翻身道情、新古典主義、勝利、S.D花園
    • 日本国内での正規盤。音質もよい。
  • ISBN:4810881687
    • いわゆる「完全盤」だが海賊版。ドレミ楽譜出版から。これは実は中国盤そのままに日本語の箱をかぶせたもので、音質等は劣る。

「奇跡」

(映画)
きせき

リスト::外国の映画::題名::か行

カール・ドライヤー監督

上映時間 126 分
製作国 ベルギー/デンマーク
公開情報 フランス映画社
初公開年月 1979/02
監督: カール・テオドール・ドライエル Carl Theodor Dreyer

映画を通して常に真理を掴もうとしていたドライエルの、サイレント期の「裁かるゝジャンヌ」に匹敵する重要作で、あちらが情熱的な祈りと信仰的葛藤の果てに辿り着く静謐な境地を描く映画だとしたら、おだやかな祈りが情熱のさざ波に洗われた末、見出す光を疑いなく信じる力強い作品がこの「奇跡」だ。30年代のデンマーク・ユトランド半島の大農場主ボーエン家の人々の生き方(真面目だが信仰心の薄い長男、神学を追及しすぎて気がふれた次男、対立宗派の娘と結婚し悶着を起こす三男)を通じ、ドライエルは信仰の可能性を問うのだが、最後、一家を支える信仰篤き長男の嫁が難産の末に死に、その悲運に接し正気を取り戻した次男の敬虔な祈りで映画は幕を閉じる。それはまさにキリストの復活劇を思わす崇高な瞬間であり、常に幻想の衣を纏っていた映画が裸になり、夢そのものになるような至福を見させる。寡作なドライエルはそれから十数年後、いよいよキリストの伝記映画にとりかかる直前に病没した。

製作年:1954年
製作会社:パレージウム(コペンハーゲン)
監督・脚本:カール・ドライヤー
原作:カイ・ムンク
撮影:ヘニング・ベンツセン
編集:カール・ドライヤー、エーディット・シュルッセル
サウンド:クヌズ・クリステンセン
音楽:ポウル・シアベック
音楽指揮:エーミール・レーセン
舞台美術:エーリック・オース
出演:
モーテン・ボーオン/ヘンリック・マルベア  ミッケル・ボーオン/エーミール・ハス・クリステンセン
インガー・ボーオン/ビアギッテ・フェザースピール
ヨハンネス・ボーオン/プレベン・レアドーフ・リュエ  アナス・ボーオン/カイ・クリスチアンセン
マーン/アン・エリサベト  小さなインガー/スサンネ  
仕立て屋ペーター/アイナー・フェザースピール  その妻クリスチン/シルヴィア・エクハウセン
その娘アンネ/ゲアダ・ニールセン  医師/ヘンリー・スキェア  牧師/オーヴェ・ルズ
カーン/アンネ・オーセン  メッテ・マーン/エーディット・トラーネ



■ かいせつ
 第二次大戦が終結してデンマークに戻ったドライヤーは、キリスト伝の映画化を構想したり、イギリスからの申し出でスコットランド女王メアリー・スチュアートに関する映画の企画を立てたりするが、いずれも実現せず、僅かに政府機関である国立映画センターの依頼で短編映画を製作するにとどまっていた。そうした中でドライヤーは長い間彼の中で構想が立てられていたカイ・ムンク(1898−1944)の戯曲「言葉」を映画脚本として書き上げる。1951年のことである。翌年、彼は映画館ダウマー劇場の経営権を与えられ、そのおかげで生活をしていくために短編映画を作るという必要がなくなった。 「言葉」は牧師であり劇作家でもあったカイ・ムンクが1925年に書いた戯曲であるが、死者がよみがえるというショッキングな結末のためになかなか上演されず、1932年になってコペンハーゲンのベティ・ナンセン劇場で初演され、それを機会に本としても初めて出版された。『吸血鬼』の封切りがベルリンで行われた後、ドライヤーはデンマークに戻ってきており、ムンクのこの劇の上演初日に彼はベティ・ナンセン劇場に足を運んでいる。彼はすぐにムンクに手紙を書きこの作品の映画化について許可を求めたが、ムンクが高額な著作権料を求めたために、ドライヤーはこれの映画化を一度はあきらめた。その後1943年にグスタフ・モランデル監督の手によってムンクの「言葉」はスウェーデンで映画化された。1943年の12月にドライヤーがストックホルムに到着してから数週間後にこのモランデル版の『言葉』は封切られ、ドライヤーはこれをすぐに見に行くが、原作の戯曲を映画用にかなり練り直してあるモランデル版をドライヤーはあまり高く評価しなかった。  ドライヤーは原作にかなり忠実に映画を進行させる。演劇が言葉のみによってイマジネーションに働きかける効果を、ドライヤーは演劇が行うように映画の中でも行った。物語を進行させるために映像が次々に飛躍していくのではなく、生活している人々の姿を俳優たちの見事な演技によって生き生きとそしてゆっくりと捉えることが、ここでは舞台の狭い空間ではなく、完璧に映画の深く無限な空間を作り出すことにつながっている。この映画のコペンハーゲンでの上映は、ドライヤー作品としては異例なほど大成功した。日本では封切られた際に『奇跡』という邦題がつけられている。



■ ものがたり
 ユトランド半島の西にある村。ボーオン家はデンマークのキリスト教の一派グルントヴィー派の熱心な信徒である。この農場では老モーテンを筆頭にして彼の子供や孫たちが暮らしている。長男ミッケルの嫁インガーは三人目の子供を宿している。次男ヨハンネスは自分をキリストであると言い、精神に異常をきたしている。三男のアナスは仕立て屋ペーターの娘アンネに恋心を抱いているが、仕立て屋ペーターがグルントヴィー派とは対立するキリスト教の一派、内的使命派の熱心な信者であるため、モーテンはこれを快く思っていない。 アナスはアンネとの結婚をペーターから拒絶される。これを知ったモーテンは、ペーターの家に乗り込んで、ペーターに文句を言う。そのときペーターの家にボーオン農場からインガーの容態が急に悪くなったという連絡が入り、モーテンは急いで農場に戻る。インガーは赤ん坊を死産し、その後容態が急に悪くなり、死亡する。まもなくして次男のヨハンネスが失踪する。 インガーの葬儀の日、失踪していたヨハンネスがまったく正気になって突然姿を現す。死者がよみがえるというキリストの奇跡を唯一信じている少女マーンの手を取って、彼は死んだインガーに向かって起き上がるよう命ずる。インガーは目を開け、起き上がる。

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